『黄昏のスペイン帝国』オリバーレスとリシュリュー
2001年5月27日読書日記のタイトルはネタにする本の名前にした方が解り易い。
と、今更気付いた鴉です。こんにちわ。
今日は更新早いです。ヒマだから。わはは(笑)。
つわけで表題の本です。
途中まで読んでたのを忘れていて今日ざっと本の整理をしたら発掘したので読み出してしまいました。
17世紀。三十年戦争を軸にしたスペイン帝国とフランス王国の興亡を、両国の巨人とも言える宰相、オリバーレス伯爵とリシュリューに焦点を置いて語った本です。
ちなみにリシュリューは知ってる人多いでしょうけどオリバーレスはまず知りませんよね…。私も知りませんでしたし(笑)。「歴史は勝利者が創る」とは良く言ったもので、歴史の授業でも興亡の興の部分は詳しく紹介しても亡の部分を詳しく紹介する事はありません。しかし、考えて見れば歴史に学ぶ、と言う観点からすれば亡の部分をこそ、良く学ぶべきだとは思いませんか?
卒論が大英帝国衰亡の考察だったりする私としてはそのあたりを深く思ったりするワケです。
んで、16世紀、神聖ローマ皇帝カール5世が築いたハプスブルグ世界帝国の継承者でありポルトガル併合により新世界の領土の殆どを手中に収めた初代「太陽の沈まぬ帝国」がどのように没落して言ったのか。がおおよその内容になります。
良く言われる原因はフェリペ2世の新教弾圧によって起こったスペイン領ネーデルラントの内乱やイギリスとの抗争による国費の乱用、そして国内の産業育成を怠った為の国力低下と言う見方です。
まあ確かにこれはあってるんですがその前に世界帝国と呼ばれたスペイン帝国が実際には非常に複雑なモザイク国家であった事を忘れてはいけません。
イザベラ女王とフェルナンド王の結婚によって統合されたスペインはもとはカスティリャとアラゴンと言う二つの王国でした。しかもアラゴン王国は実質的にはアラゴン、バレンシア、カタルーニャの三国の連合王国でした。(バルセロナオリンピックの時カタルーニャ解放を図る独立派のテロの心配が報じられたのを覚えてる方もいるかもしれません。)。
その他にカール5世から託されたナポリ王国、シチリア王国、そして火種となるスペイン領ネーデルラント。スペインに併合されたポルトガル王国。この全てを含めてのスペイン帝国であったのです。
しかし、この版図に比べて国家税収はお寒いものでした。何故なら前述したように様々な地方国家の集合体であるスペインでは地方国家の力が強すぎて中央宮廷が直接税金を取ったり増やそうとしたりしようものならすぐに大反乱が起こるのです(笑)。
実質、当時のスペインはこの広大な帝国を維持する宮廷費や軍事費をカスティリャ王国だけの税収と新大陸から来る大量の銀で補うしかなかったのです。
そして帝国はその威信にかけて、ネーデルラントで、イタリアで、ドイツで、そして大西洋でイギリスと、地中海ではキリスト教国の威信を背負ってトルコと戦わねばなりませんでした。どの戦争も、そんなに大変なら休戦すれば良いじゃん、で済む程簡単に足を抜く事が出来るモノではありません。
そして国内産業の育成もカスティリャ王国内でさえ中世的な職工制度の壁の前に効率化出来ず、外国市場との競争に立ち遅れて行きます。まさに泥沼だったわけです。
そして新大陸から大量に流入した銀が供給過剰によって大幅なインフレに陥るともう帝国を支える金はどこにもありません。行きつく先は国家による借金借金借金と踏み倒しの嵐です(笑)。
そうこうしているうちにリシュリューの策略で三十年戦争の泥沼から抜け出れなくなったスペインはカタルーニャとポルトガルの内乱も手伝ってこてんぱんにのされた上にウェストファリア条約で多くの領土を失い、完全に帝国としての威信を失いました。
逆に百年戦争の荒廃の中から立ちあがり中央集権国家として生まれ変わったフランスやイギリスがヨーロッパの大国として主導権を握って行きます。
って…ここまで書いて思ったんですが「世界史の講義」になってますね!(爆)
フフフ…隠していましたが(そして誰も聞いてはいないが)実は私は世界史フェチだったのです。世界史地図帳を枕にして寝ているのです。嘘ですけろ。
あー、書いた書いた。気持ちいー。さて、この文章誰が最後まで読むのか非常に楽しみです!
(誰も読まないに一票。)
追記:昼書いたのを微修正して再アップ。何処がかわったのでしょう(笑)
と、今更気付いた鴉です。こんにちわ。
今日は更新早いです。ヒマだから。わはは(笑)。
つわけで表題の本です。
途中まで読んでたのを忘れていて今日ざっと本の整理をしたら発掘したので読み出してしまいました。
17世紀。三十年戦争を軸にしたスペイン帝国とフランス王国の興亡を、両国の巨人とも言える宰相、オリバーレス伯爵とリシュリューに焦点を置いて語った本です。
ちなみにリシュリューは知ってる人多いでしょうけどオリバーレスはまず知りませんよね…。私も知りませんでしたし(笑)。「歴史は勝利者が創る」とは良く言ったもので、歴史の授業でも興亡の興の部分は詳しく紹介しても亡の部分を詳しく紹介する事はありません。しかし、考えて見れば歴史に学ぶ、と言う観点からすれば亡の部分をこそ、良く学ぶべきだとは思いませんか?
卒論が大英帝国衰亡の考察だったりする私としてはそのあたりを深く思ったりするワケです。
んで、16世紀、神聖ローマ皇帝カール5世が築いたハプスブルグ世界帝国の継承者でありポルトガル併合により新世界の領土の殆どを手中に収めた初代「太陽の沈まぬ帝国」がどのように没落して言ったのか。がおおよその内容になります。
良く言われる原因はフェリペ2世の新教弾圧によって起こったスペイン領ネーデルラントの内乱やイギリスとの抗争による国費の乱用、そして国内の産業育成を怠った為の国力低下と言う見方です。
まあ確かにこれはあってるんですがその前に世界帝国と呼ばれたスペイン帝国が実際には非常に複雑なモザイク国家であった事を忘れてはいけません。
イザベラ女王とフェルナンド王の結婚によって統合されたスペインはもとはカスティリャとアラゴンと言う二つの王国でした。しかもアラゴン王国は実質的にはアラゴン、バレンシア、カタルーニャの三国の連合王国でした。(バルセロナオリンピックの時カタルーニャ解放を図る独立派のテロの心配が報じられたのを覚えてる方もいるかもしれません。)。
その他にカール5世から託されたナポリ王国、シチリア王国、そして火種となるスペイン領ネーデルラント。スペインに併合されたポルトガル王国。この全てを含めてのスペイン帝国であったのです。
しかし、この版図に比べて国家税収はお寒いものでした。何故なら前述したように様々な地方国家の集合体であるスペインでは地方国家の力が強すぎて中央宮廷が直接税金を取ったり増やそうとしたりしようものならすぐに大反乱が起こるのです(笑)。
実質、当時のスペインはこの広大な帝国を維持する宮廷費や軍事費をカスティリャ王国だけの税収と新大陸から来る大量の銀で補うしかなかったのです。
そして帝国はその威信にかけて、ネーデルラントで、イタリアで、ドイツで、そして大西洋でイギリスと、地中海ではキリスト教国の威信を背負ってトルコと戦わねばなりませんでした。どの戦争も、そんなに大変なら休戦すれば良いじゃん、で済む程簡単に足を抜く事が出来るモノではありません。
そして国内産業の育成もカスティリャ王国内でさえ中世的な職工制度の壁の前に効率化出来ず、外国市場との競争に立ち遅れて行きます。まさに泥沼だったわけです。
そして新大陸から大量に流入した銀が供給過剰によって大幅なインフレに陥るともう帝国を支える金はどこにもありません。行きつく先は国家による借金借金借金と踏み倒しの嵐です(笑)。
そうこうしているうちにリシュリューの策略で三十年戦争の泥沼から抜け出れなくなったスペインはカタルーニャとポルトガルの内乱も手伝ってこてんぱんにのされた上にウェストファリア条約で多くの領土を失い、完全に帝国としての威信を失いました。
逆に百年戦争の荒廃の中から立ちあがり中央集権国家として生まれ変わったフランスやイギリスがヨーロッパの大国として主導権を握って行きます。
って…ここまで書いて思ったんですが「世界史の講義」になってますね!(爆)
フフフ…隠していましたが(そして誰も聞いてはいないが)実は私は世界史フェチだったのです。世界史地図帳を枕にして寝ているのです。嘘ですけろ。
あー、書いた書いた。気持ちいー。さて、この文章誰が最後まで読むのか非常に楽しみです!
(誰も読まないに一票。)
追記:昼書いたのを微修正して再アップ。何処がかわったのでしょう(笑)
コメント